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◎ナチュラルケア水道橋外来センター

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代表プロフィール


朝倉穂高|Hodaka Asakura

朝倉 穂高 ~あさくら ほだか~ 

 

Dr. Hodaka Asakura, D.C.,B.App.Sc,B.C.Sc, B.C.A.M.P.

 

日本カイロプラクティック登録機構(登録番号:0013)

 WHO基準カイロプラクター

 

自己紹介

1978年 生まれ
出身地:長野県茅野市

(出生地:三重県伊賀市)


職業:カイロプラクター(療術師)

 

学位(称号):ドクター・オブ・カイロプラクティック

カイロプラクティック理学士、応用理学士(臨床科学)

 

趣味:ラーメン、浮世絵、遊字、読書、真理探究、人間学、神社巡り

 

著書:

Activator Methods 2nd. Edition(日本語版) 監訳:16章・17章

・月刊 本の街連載「古くて新しい健康のミカタ」共同著者:松浦孝一郎

腰痛が人生を好転させる 著書

心のブレー菌 監修

 

 

~ショートプロフィール~

 子供の頃、腰痛持ちの母親の通院に付き添っていたことがきっかけとなり手技療法の世界を知る。中学の時、地元地域の不思議な床屋さんと出逢い、東洋医学や東洋思想の話を伺い、宇宙の陰陽論に興味を持った。高校を卒業し、豪州公立ロイヤル・メルボルン工科大学(RMIT)日本校カイロプラクティック学科に進学する。カイロプラクティック理学士(学位)を取得、卒業(2002)。東京カレッジ・オブ・カイロプラクティックDC号プログラム修了、Doctor of Chiropractic(学位)取得(2022)。RMIT卒業後、ニューヨークへ留学する。大学在学中に原因不明の頚部痛を患い、そこから約10年間の長い闘病生活を送る。この痛みを克服したい一心で、様々な手技療法や代替医療を学び続けるが治癒に至ることはなかった。生物、物理、心理、化学、宗教、哲学など多方面から考察を重ねるうちに、技術が病気を治すのではなく、病気に至る心が原因ではないかと考えるようになった。それから自己啓発にのめり込み、ようやくこの痛みを克服することができた。自らの経験と臨床を照らし合わせ、これまで常識的に考えられてきた痛みの概念を根底から問い直し、病院の検査では異常がないにもかかわらず、慢性的な痛みでお困りの方たちの改善に取り組んでいる。著書「腰痛が人生を好転させる」、監修「心のブレー菌」など執筆・制作を通じて、心と体が楽になるような啓蒙活動も行っている。慢性的な痛みに耐えながら生活されている方々の不安を取り除き、自信と生き甲斐を取り戻していただくことを目標としている。これまで一般の方々をはじめ、オリンピック金メダリスト、プロスポーツ選手、俳優、ミュージシャン、有名企業役員などのクライアント様が多数来院している。施術の他にセミナー、講演会活動なども行っている。

 

Fanterviewより取材記事


株式会社まるごとオフィス様が運営するFanterviewの取材を受けました。

 

上記会社の専属ライター木内様よりインタビューを受けた時の内容を記事にしていただきました。

 

取材中は、終始和やかな雰囲気で、とても楽しくお話することができました。

 

取材の内容は、リンク先よりご一読くださいませ。

 

朝倉がカイロプラクターになった経緯なんかもお話しています。

★あさくらほだか物語★


~背骨から運命を創る~カイロプラクティック界の異端児

原因の本質を見抜く!

~進化し続けたいカイロプラクティック界の異端児!?~

 

『何でも知りたい、好奇心いっぱいの少年時代』

 1978年、伊賀流忍者のふるさとである三重県伊賀市に生まれる。忍者姿でも知られる伊賀市長は遠縁。その後、長野に移り住み幼少期を過ごす。長野の大自然に囲まれた抜群の環境の中で、自然と戯れながら活発に毎日を送る。何にでも疑問を持つ少年で、その仕組みや意味を理解するまで納得しない、いわゆる「何で?何で?少年」で、まわりの大人たちを質問攻めする好奇心が旺盛な子であった。それでも分からないことは、本を読んで学んだりと探究心が尽きることはなかった。

 

 

 腰痛持ちだった母が、病院や東洋医学の治療に通っているのを興味深く観察することで、少しずつ人間の「カラダ」や「痛み」について関心を持つようになる。痛みで苦しんでいる母をどうにか助けてあげたいという気持ちがさらに後押しする。中学生の頃、近くの理髪店の人が東洋医学でお客さんを診ていたのを見て、さらに興味を抱くようになり、将来の方向性がおぼろげに見えてくる。

 

 

 その一方で、友達とビジュアル系のバンドを組み、通っている高校のみならず、地元の人気者として注目を集める。スタイルはロン毛やロカビリー・リーゼントに革ジャン・スカジャンを羽織り、腰からチェーンをジャラジャラとぶら下げるなど派手さを極めたファッションで青春を謳歌する。高校では、生徒会長に選ばれ、人気だけでなく人望も厚く、生徒会活動に渇を入れながら文化祭を成功に導くなど、人の上に立ってリーダーシップを取る統率力に大いに目覚める。これが人生の礎のひとつになる。

 

 

『手抜きをすることを知らないビジュアル系に“やる気”スイッチが入る』

 音楽の才能を持ちながらも、初心を忘れず、高校卒業後に鍼灸専門大学を目指す。必ず受かるだろうという自信を持って受けるが、なぜか最終面接で落とされてしまう。ガッカリしながら、歩いていると、普段なら受け取ることもない、街中で配布するチラシをなぜか受け取る。あまり気にも留めず、バックの中にしまい込んだ。帰りの電車の中でふとチラシのことを思い出し手にとって見ると、それはカイロプラクティック専門大学の入学案内だった。カイロプラクティックは米国ではドクターとして認められている歴史のあるもの。強いひらめきを感じ受験を決意するが、受験受付の締切日が残り数日という状況。急いで準備し、受験にギリギリ間に合い、しかも合格するという綱渡り的な強運に導かれ、遂にカイロプラクティックの道へ進む。

 

 

 入学後は、また金髪オールバックで派手な格好という、いでたちになる。根っからの目立ちたがりは、変わらず続いていた。大学には、年上の方が多く、中でも「勉強なんて、遊びから学ぶもの」といった雰囲気のクラス最年長者(当時50歳過ぎ)だった方に気に入られ、大人としての街での遊び方から勉強方法や、さまざまな人生哲学を学ぶ。人間にはカラダのケアと同じくらい、「心」が重要だというのを知る。

 

 

 2年生のときにスノーボードで大転倒し、首を痛めてしまう。それから約10年もの間、激しい痛みと痺れに悩まされる。レントゲンやMRIを撮って精密検査をしても原因を突き止めることができず、苛立ちの日々を送る。怪我をきっかけにカイロプラクティックの勉強へのやる気スイッチが入り、かなり熱心に勉強することとなる。人生の中でこんなに勉強したことはないというほど、カイロプラクティックの勉学にいそしむ毎日を送る。

 

 

『頚痛をガマンしながらニューヨーク時代を満喫する』

 4年生のときに海外研修で2週間勤務した、ニューヨークのカイロプラクティック・クリニックが気に入り、カイロプラクティック専門大学卒業後の2年間をインターンとして働く。ニューヨークのライフスタイルを満喫するも、さまざまな著名な先生や、自分自身の研究をもってしても、自身の首の痛みを解消することができず、辛い日々を送る。

 

 

 帰国し、ニューヨークで出会った日本人女性と結婚。伴侶を得た日本での生活は充実した毎日だが、やはり首の痛さは解消しない。米国時代にセミナーで知り合った歯科医師から、痛さを解消する“精神的な治療法につながるきっかけ”のようなものを教えてもらうが、そのまま具現化できずにいた。その首の痛さを早く治したいという気持ちも手伝ってか、米国においても日本でもカイロプラクティックの研究意欲は、変わることなく持ち続けていた。

 

 

 世界が認める主な治療法は、マスターするが、それでも満足することなく、カイロプラクティックの治療の合間を見ては、治療に関する研究と勉強を続ける。日本サイト研究会の中野禮三代表に弟子入りし、後継者として修行も行う。

 

 

『痛さは、自分のエゴが原因?心を通しカラダの痛みを取る方法を知る』

 前後して、日本の形成外科医の第一人者であり春日大社宮司の葉室頼昭氏による著書『神道のこころ』を読み、人知の及ばない世界に目を向けると、自分が今までやってきた「治してあげる」といったことが、まったくの思い上がりだったことを知り愕然とする。人間の力で何でもできるという考えが“エゴ”であり、自然界に人間のエゴが通じるわけがないということを知る。自然治癒力といった、宇宙もしくは、見えざる神秘の力によって生まれながら与えられた力が、スムーズに発揮できることをお手伝いすることが自分の役目なのだと悟る。また、納税額日本一などで知られる斎藤一人さんの講演会のCDを友人からもらい聴いたところ、自分のエゴやワガママが今の自分のすべてをつくりあげているということを知る。首の痛みも自分のエゴやワガママが原因だったのではないかと思い始める。

 

 

大学時代に人生哲学や心の重要性を気づかせてくれた人の教えや、米国で学んだこと、帰国後に日本で学んだこと、さまざまな著書などから得たことが、すべて一直線につながる何かを感じる。心とカラダは分離できないということをあらためて認識すると、なぜか気持ちが楽になった。そして、数日後に劇的な瞬間を迎える。歯磨き後のうがいで、首を後に曲げてもまったく痛くないのである。今まで10年間も痛くて曲げることができなかったのに治ったのである。激痛で、のたうち回った日々がウソのように、晴れ晴れとした気持ちのよい日を遂に迎える。まさに、肉体と精神は分離できないということを自らの身をもって証す。

 

 

 ただ、10年間も苦しんだ自分の首の痛みが、もしなかったら、ありきたりの治療や方法論ばかり考えていたかも知れない。

 

 

 これからの目標は、現在行っている、さまざまな出会いと学びを通して確立した、クライアント様の潜在意識(治癒力)を引き出しながら、本質的な解決を目指す治療法をさらに磨き、手技療法(カイロプラクティックを含む)をますます極めていくことです。また、日本サイト研究会の『実践を通じて、誰もがありのままの自分を体現し、次元の垣根を越え万物とつながり、悦びに満ち溢れた世界を創造する』 ビジョンを現実化させることです。

 

 

プロフィール制作・取材

株式会社 ディーアンドライズ

代表 風間俊太郎 × ライター 堀籠しゅん。

略歴一覧


2002年】

豪州公立ロイヤル・メルボルン工科大学(RMIT)日本校

健康科学部カイロプラクティック学科卒業

◆応用理学士(臨床科学)Bachelor of Applied Science(Clinical Science)(称号) 】

◆カイロプラクティック理学士【Bachelor of Chiropractic Science(称号)】

◆優秀賞受賞

 

渡米、ニューヨーク「East 53rd.St. Chiropractic Center 」に2年勤務

 Dr. John Belmonte,D.C. 助手(アシスタント)。

 

2003年】米国代替医療協会-代替医療認定医取得。

American Alternative Medical Association/B.C.A.M.P.(Board Certified Alternative Medical Practitioner

 

2004年】The Upledger Institute, Inc.認定頭蓋仙骨治療Level I,II修了証。

米国アクティベータ・メソッド・インターナショナル上級認定者取得。

帰国後、神田神保町に共同経営者(取締役就任)としてハーモニーカイロプラクティックオフィスを開業する。副院長として勤務。

 

2005年】EFT-Japan 認定プラクティショナー取得。

 

2009年】日本サイト(SCIT)研究会サイト療法本科応用過程修了。SCIT療法師認定。

 

2010年】日本サイト研究会講師過程修了。サイトマスタートレーナー認定。

日本サイト研究会認定公認講師就任。

日本サイト研究会関東支部代表に就任(2016年引退)

 

2011年】アクティベータ・ネットワーク・ジャパン事務局認定

国内インストラクター就任(2012年引退)

 

2013年】健倖A&Hマネジメント代表

ナチュラルケア水道橋外来センター院長就任(東京都文京区)

 

2014年】予防医術を広めるため、全国セミナー開催

 

2018年】「痛みのミカタ講座」を共同開催する(玉田・朝倉・早坂)

 「腰痛が人生を好転させる」朝倉穂高(著)出版社:パンダパブリッシング

 

2021年】「心のブレー菌」共同制作・山田貴子()、 朝倉穂高(監修)

出版社:和奏出版

 

2022年】

The International Board of Chiropractic ExaminersIBCE):SPEC試験合格

 

Tokyo College of Chiropractic D.C.号プログラム修了

(※CCEAアクレディテーション認可プログラム)

※CCEA:南洋州カイロプラクティック教育評議会

Doctor of Chiropractic(称号) -Japan-year 2022 

 

朝倉穂高の人生の目的


大自然の摂理に沿った生き方を実践し

 

同じ価値観の仲間同士で

 

その活きた悦びを熱く共感しあうこと。

 

朝倉穂高の使命


私とご縁のある全ての方達の

 

『健倖』への架け橋的な存在であること。